2007/08/28

アートの誕生

野口ジローから自己紹介的手記が届きました。
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 私の名前は 野口ジロー。

 私がいったいなにものであるか、いくつかのおもしろエピソードを通してみなさんにお伝えできればとおもいます。

【アートの誕生】
 むかし、じいちゃんの母屋には大きな黒板があった。当時(今でもそうですが)黒板などというものがある家は非常にめずらしく、そこにはいろんな色のチョークがあった。学校にはなかなか無いような色のチョークまでもがあった。私たちは夢中でおおきな黒板にあらゆる思い思いの絵を描いた。そこに何か大事なものが書いてあっても構うものではなかった。手をいっぱいに伸ばしじいちゃんの達者な字で書かれた重要事項の字の上を線が走った。よくチョークが折れた。黒板があるということは私の自慢であった。
  
 ある時、枠の外に目がいった。
 
 じいちゃん家の壁は昔よくあったぽろぽろ崩れる珪藻土のかべであった。私は迷わず壁にチョークを走らせた。チョークは壁に良く食い込んだ。つるつるの黒板よりよっぽど確かな手ごたえが私の手に伝わった。ごりごりごりと私は夢中で壁に絵を描いた。当時大好きなヒーローの絵だった。
 
 自分の体より大きなものを描こうと思ったがなかなかうまくいかなかった。ヒーローの顔はみにくくゆがんだ。
  
 ひとしきり描き終えると、わたしは満足してそれをほったらかして外へ出た。
  
 夕刻になって親父の雷が落ちた。私は当然のごとく吊るし上げられた。親父は私にあらゆる罵声をあびせた。親父は(こいつはほんまにアホかもしれん)といった危機感を感じているように見えた。その顔には焦りの色すら浮かんでいた。うしろでじいちゃんがおろおろしているのが見えた。テーブルにおかずが半分まで並んでいた。私は当時泣き虫で恐れられていたが、そのときばかりはむすっとしていた様に思う。(なにがいかんのや!)と心のなかで思いつづけていた。
 
 結局、親父が半狂乱になってこすったにもかかわらず絵は落ちなかった。母屋は私が高校時代まであったが。そのときまで壁の絵は落ちなかった。私は用で母屋に行く度その絵を見るのが好きであった。
  
 これこそが私の最初のアートであった。
  
 当時の3つか4つの私の意識が「黒板」という当然の限定された「世界」から軽々と飛び出した。チョークの用途の壁を軽々と飛び超え自由意識が世界の外を走り回った。まさに改心のアートであった。

 二十年以上前の出来事ではありますが、私はついさっきのように一部始終を覚えています。話は9割以上が事実です。シュールです。私の最も初源の思い出のひとつとしてみなさんにご紹介しました。

text by Jiro Noguchi
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